日々の切れはし

平穏で静かで小さな発見がある。一見何と言うことはないこんな日々を積み重ねると人生というタペストリーが織り上がる。小さな日々の切れはしを誠実に積み上げていくことこそが幸せ。そして幸せになるための工夫、幸せのための時間を確保するための効率化、努力を精一杯。

サービスレベルは落としてはならない

 GWは行きつけの店に全部行った。

主人は仕事、子供は宿題漬け、ペットはペットホテル嫌いのため旅行はできない。なので毎夕食外食をした。

GWは店自体が混み市場が休みなので通常よりも覚悟するべきである。けれど馴染みの店はいずれもしっかしりしているので順番に食べ歩いた。

串カツも居酒屋も焼き肉屋も客は多かったがいつも通りだった。ネタがないのもあったがそれはきっぱりと「市場が休みなので」と断りが入った。

衝撃を受けたのは行きつけのお寿司屋。

寿司ネタが少ないのはわかる(漁はお休みだろう)、普段より客が多いのはわかる。

しかし、運ばれてきた握りはいずれも通常の「半分」サイズだった。

ミニサイズのお寿司に目を凝らした。

漁がいらない「たまご」だけ具が通常サイズになったため、他のネタに合わせたすし飯が小さすぎて不格好だった。

一貫ずつしか出ないお寿司屋だ。普段なら一貫でお腹は納得。

しかし満員のカウンターから「全部二貫ずつ」の注文が続く。

まんじりともせず会計を済ましたが、普段通りの金額。

帰り際ちらと目をやると細かく切られたネタが見えた。

GWのたくさんの客に合わせてネタを等分したか?

 

このお寿司屋、地元では高級店の部類に入ると思う。

清潔でピンとしていて珍しいお酒もおいている。一仕事必ずしてある。

家族でいけば名前はもちろん子供の部活まで記憶して流暢に話す店だ。

いずれにせよ、ミニサイズの握りは記憶に残り、しばらくはこの店に足を向けないであろう。少なくとも来年のGWは行かない。店の裏事情を客に感ずかせる時点で、もうこの店はどうかと思ってしまった。

 

さてGW開け、馴染みの美容院で髪を切る予定にしていた。

以前の美容院から独立してそのまま客になったところだ。

オープン仕立てだから台所事情は苦しいだろうと思っていた。

そこでは、カラーリングを定着させる時間に飲み物がでる。

これは以前の美容室と同じだ。以前の店から移った客がいるので継承しているのかと思っていたが、

「最近は紅茶がおすすめです」と言われたので頼んだ。

紅茶は都度お湯を沸かして一杯ずつ入れているそうだ。以前の店ではポットのお湯だったそうだ。おいしいお茶のため葉を購入し毎日研究しているとのこと。

アールグレーのいい香りの紅茶を飲みながら、サービスは向上しこそすれ、落ちてはならないと強く思った。

人生フルーツ 

 偶然が偶然を読んだ日。

直観や流れに従うと望んでいたことができた日でした。

「人生フルーツ」という東海テレビが制作した映画を見てみたいと思っていた。

高蔵寺ニュータウンの設計者で自らが設計し高度成長の波にもまれあらがい自身の設計した町作りがなされなかったがために設計した土地に住んだというお話です。

 ふっと1駅遠くの映画館のある駅のコープで買い物をしようと思いつきました。電車に乗り映画館付属のカフェでくつろぎ地下のコープで買い物をしたあと、駅に戻ろうとしたとき、映画館の今日の上映映画の広告が目につきました。

「人生フルーツ」、上映は1日たった1回12時から。

時計は11時半、ちょうど間に合います。

すぐ帰ろうと思っていましたがこの機会に映画館へ。

スムーズにチケットを購入でき、20分の待ち時間は近くの違う喫茶店へ。

流れに従っていたのに、唯一この喫茶店だけがミスでしたが。

(以前行ってイマイチだったのに、イマイチだったのを確かめにいってやっぱりイマイチだった。常連さんが大声で話す喫茶店は好きではない。)

 

人生フルーツ。

驚くことがたくさん。

設計者は東大卒で敗戦時マッカーサーを出迎えた人の一員だったし、奥さんは200年続く造り酒屋の一人娘だった。以下箇条書きでの感想。

・90才で建築家さんは亡くなるがその死に顔を結構長く撮影していたこと。

草刈りをした後昼寝してそのまま亡くなったそうなので、その眠るような自然な死に顔に撮影者は打たれたのかと思う。

・奥さんはご主人が亡くなられた後も、普通にご主人の分の和食の朝食を作り、遺骨に備えていたこと。そのそばで奥さんは朝食のパンを食べていたこと。(和食ではない)

・奥さんは「(主人に)きちんとしたものを食べさせ、きちんとした服を着せると巡り巡って自分に還ってくる」というようなことを言っていて、そのおかげでご主人は天寿を全うできたのだと思う。手作りの料理が大事ということの再確認。

高蔵寺ニュータウンに家を建てたと知っていたが、土地を300坪も購入していたこと(そこで自給自足の生活がされていた。庭にはたくさんの果実、野菜がとれる)

・野鳥の水飲み場の鉢がとてもすてきだった。鳥が水浴びしたり、水を飲んだり。

・山を削って作った新興住宅地に反対し、雑木林を家に作れば近所も雑木林だらけになると信じたが時代の流れから周りに雑木林は増えなかった。しかし高度経済成長期にあえて考えられた自然の地形を生かし、風が流れて緑が豊富な原案は40年めぐって今とても支持される図案になっていると思う。

 

 

 

1年目

 はてなブログからメールが届き、開けると

『「日々の切れはし 50才からの目線」を開設して1年経ちました。』

だそうです。

1年。。

自分としてはもっと暑い時期に始めたような気がしていましたが、春だったんですね。

ミニマリストに憧れ、読者になっている「やまさん」のブログにあやかり、はてなブログで開設しました。

FC2ブログアメブロでも書いていたのですが、「はてな」の編集画面が見やすくこちらが主になりました。

我が家に黒猫が来てから2か月くらいたって始めたブログなので、猫がよく出てきます。Mダックスの先住民(動物?)も元気です。

今は2匹仲よくとは言わないまでも同じリビングの空間でくつろいでいます。

 

ブログタイトルに「50才」とありますが、本当は今年に50才を迎えます。人生は100年とまではいかないまでの、きりのよい50才。人生の後半になる50才。

にむけて生活や気持ちを改善しつつ後半に向かっていきたいと思います。

 

そういえば、今日は8時50分から「3月のライオン」見てきました。

イオンモールのシネマズは朝早くからやっているのが好きです。

9時前から映画を見られるのが自分のタイマーに合っています)

桐山零くんを神木くんが好演。絶対いいと思っていたんだよなと思っていたらその通りでした。原作はマンガです。天才の影、苦悩、努力を描くのがうまい羽海野チカさん作です。

そしてそして服断捨離していたのに、またもアトリエナルセの新作バッグを見つけてしまい速攻ポチ買いをしてしまった変わりない私です。

50才までには、50才からは、衝動買いしないぞ。衣類買わないぞ。

 

卒業

 唐突ですが、宝塚歌劇ファンをやめることにしました。

4月の公演が実家帰省と重なって、あっさりチケットを手放したあたりから卒業できるかもと思ってきましたが、3か月あるいは半年先の公演のチケットを是が非でもとろうとチケット販売の時期をチェックしてPCの前に座ったり、取れたり取れなかったり(大体は取れない)で一喜一憂するのが疲れたということろにあります。

トップスターの引退も相次ぎ、ファンになっても次はこの人が退団かもと思うとつらくなったりまだ退団しないと知ってホットしたりしてこちらも一喜一憂していなければなりません。

6月までチケットを取っているのでそれが先行予約の最後かな。

応援しようと決めているスターの退団はおそらく今年年末から新年だと思うので(全くの予想です)、そこまでは宝塚友の会会員でいようと決心していて、

この方の退団公演までは観劇するつもり。それをもってファン卒業予定ですが、また退団公演のチケット取るのに苦労するんだろうなぁ。

ゆにわ体験記

 「神様ごはん」の作者ちこさんが店長をつとめる「ゆにわ」。

著書を読んでから行きたかったけれど何分遠い。

今回服を取りおいてくれた店が近くだったので行ってみることに。

「ゆにわ」は水曜は定休とのことで、お隣の「べじらーめんゆにわ」へ。

しかし、水曜は「まぜそば」のみのメニュー。命のスープは飲めません。

最寄りの樟葉駅から徒歩18分。今日は寒くて風が冷たい日でおまけに行ったことのない土地なのでかなり迷いながら到着。

店に入って自販機で食券を購入するのは調査済。まぜそばを押して食券をカウンターに出す。店には2名しか客が座っていないが、トイレから帰ると3、4名の家族と1人客が3組ほど。子連れの家族は店の人と知り合いなのか、作る人はその家族とばかり目を合わせている。最初の2名に料理が出され、次は私の番と思ったら家族連れの子供にまず先に。そうだよね、子供が先だよねと思っていたら次はそのお母さんらしき人に。どう考えても私より後に入店したけれど、トイレに立ったのが悪かったのだろうか。

思い切って「最初から来てるんですけど、順番は?」と尋ねると次に出してくれました。その前においてある水を飲んだんだけど、ぬるくて体の中にすっと入っていくようでした。そして店に入って落ち着いてくると眠くてたまらないほどに。ゆったりしたBGMか昭和な感じの落ち着く店内だからか(けれどかなり狭い)。肝心のまぜめんは、おいしかったです。ごま油がかなりよいのを使っているのか風味がいい。かけてあるノリも香ばしい。麺だけでおなか一杯に。

そのあと、もう来ないかもしれないので茶しゆにわへ。駅に戻る感じですがまた迷いながら到着。靴を抜いであがります。お客は私一人。思い切って2000円の阿修羅セットに。さらに15時までしか使えない畳のほうへ。

入店は13時なので、15時までなんて余裕と思っていましたが、阿修羅のお茶は3分の砂時計を2回傾けて6分まつのです。それを急須にお湯を注ぐ回数分。

最初は果実味がしてこれで最後にしようと飲んだ3杯目の急須のお茶がおいしくて結局4回急須にお湯をそそぎました。中の果実は食べられるそうですがちょっと苦みがあり最後まで食べられませんでした。

畳に座ってみる外の景色は昭和の窓の外、白い椿が見え、本当に落ち着きました。砂時計をただひっくり返して6分待つのをまたやってみたいです。無為だけど落ち着く時間でした。阿修羅ブランドは不眠に効くと記載がありましたが、帰りの電車の中は本当に眠かったです。また帰る途中で横切ったショッピングモールがやけに物が多すぎる感じがし、公園の木々がとてもきれいにみえました。お茶の効果かわかりませんが、あの時間はとてもよかったと思います。

 

母からの荷物の中身

 実母からの荷物が届き、今日は子供が学校から午前中で帰宅してもお昼ごはんを作らなくていい。つくづく親はありがたい。70過ぎた親が食料を送ってくれるこの幸福。

ちなみに母からの荷物の中身は、

手作りハンバーグ、手作りコロッケ、手作りお好み焼き、手作りチョコレート、手作りチョコレートパン、海鮮せんべい、かっぱえびせん、いちごポエム、ブロッコリー、大根、バナナ、プチトマト、ブルーベリージャム、正月帰省時に残していたソックス、割烹着。でした。ありがたや。

ハンバーグやお好み焼きは子供の大好物、海鮮せんべいは私の大好物です。

チョコレートはおそらく遅れたバレンタインデー用で、今日ホワイトデーについた。

というところです。

「買ってやっている」は「売ってもらっている」?

 ナチュラルブランド系の服は好きだが、ブランドを出している会社は好きではない。

(ナチュラルブランドと書いているが正しい言い方はわからない。

ナチュリラ、リンネル、天然生活などで取り上げられるようなリネンや綿の服を出しているブランドである。)

 正直そういった会社に問い合わせてくしっくりきたためしがない。でも服は好きである。好きであるので手に入れたいと思う。しかしブランドの事情ゆえ取り扱い店は少なく、取り扱っていても目指す服はなかったり(小さなブティックが自らの才覚で買い付けするから)、完売になっていたりする。

 なのでシーズン初めになるとそういったブティックのオンラインショップを渡り歩き何時間もスマホやPCの画面を見るということになる。

 

 今年は珍しく1つのブランドからカタログが送られてきた。おそらく直営店のショップで買い物をしたからだろう。

全商品を冷静に品定めできるのでうれしかった。買いたいものも決まった。

しかし、いざ目当ての品を探そうとすると、直営店のオンライショップでは売っていない、馴染みのブティックでも取り扱いがない、オンライショップを検索し続けてもみつからなかった。

思い余って直接ブランドに問い合わせをした。

今まで検索したことがないオンラインショップを紹介され無事購入することができた。3点で10万円ほど。直営店で2万ほど購入した際にカタログが送られてきたからまた送ってもらおうと軽い気持ちでカタログを楽しみにしているという返事を書いた。

もちろんそのブランドの商品を購入できたことも含めて書いた。

しかし、回答は「購入履歴の高い方からカタログを配布します」と、私が該当しないような記載がなされていた。せっかく買い物をしたのに。という残念な気持ちと何だかしっくりしない気持ちが残った。

「お客様は神様である」とまでは言わない。しかし言い方というものがあるのではと思う。「せっかく購入してくれたのに直営店の購入履歴に限るので今回は申し訳ない」というようなそんな言い方を期待していた。

そういえば「直営店では完売です」と誇らしげに書いてあった。

マスなブランドではないから、1シーズンに製作する服数は限られるだろう。シーズン前の展示会で取扱店を集め注文をとり、注文数プラスアルファの数だけ作り、プラスアルファ分だけ直営店で販売する。即完売になるのは当然な気がする。そこを「直営店ではわずかしか置いていないのですぐなくなってしまいます」と正直には書けないか?

とりあえず丁寧に直営店では購入できない、直営のオンライショップで買う時があるかもしれないといった返信を書いた。本意が伝わるかどうか、おそらく伝わらない。

では一切そのブランド服を買うことをやめたらよい。

しかしやめられない。

何だか好きな彼女に邪見にされても追いかける状況に思えてくる。