日々の切れはし 〜50才からの目線〜

平穏で静かで小さな発見がある。一見何と言うことはないこんな日々を積み重ねると人生というタペストリーが織り上がる。小さな日々の切れはしを誠実に積み上げていくことこそが幸せ。そして幸せになるための工夫、幸せのための時間を確保するための効率化、努力を精一杯。

清々する

 犬の散歩をしながら、景色を眺める。

一昨日の大雨の後だから、山は新緑色、花は咲き乱れ、ウグイスが鳴いている。

辺りの地主が大仰に残した空き地には草が生えそろい木々の緑が揺れ、虫や鳥がさぞかし住みやすそうだ。行き交う人も少ない。同じように犬の散歩中の人々に会う。

 

美しい土地に住んでいると思う。

 

犬を引いていると、背中が軽い気がした。

小さい羽根でも生えたように背中が軽い。

 

さわやかな気候の牲か、木々をそよがせる風の牲か。

 

違う。引いている物が犬一匹だからだ、と思い当った。

 

先月まで、1年間の役割があった。

通学路の登校班の付き添いだった。

 

6年間で必ず1年は回ってくるお役目。

学校がある日は1日も休めない。毎日登校班とともに通学路を歩く。

 

付き添いだけじゃない?と問われるかもしれないが、

なかなかどうして、役目としては一番恐れられている。

ある人は1年の役を終えた途端発熱して寝込み、ある人は余りの重責に、終えたとたん万歳を叫んで解放感を味わったというからすごいお役目だ。

 

私も回ってくるまでは憂鬱でしょうがなかった。

やっていてもやはり憂鬱だった。

 

何が憂鬱なのか分析したことがある。

 

まず何が何でも登校班の集合場所に朝出なければならないこと。

忘れ物や急に帰る子など突発的な事項が起こること。

1,2年生は単独で登校させては行けないので、登校班が出発した後もひたすら待って一緒に学校に行かなければならないこと。

通学路に起こったケガ、事件など、なぜかこの役目に責任があるように思われていること。(実際はそうではないが、大人が付き添っていてのケガなどは蒼白になる)

 

に加えて

何班かあるので、毎度のようにどの班が先に行くかもめること

(揃い次第行ってもよいが同時に揃うともめる。じゃんけんして決めてももめる、後だししたとか)

全員が先に行きたいので、集合時間に遅刻した子を責める雰囲気があること

 

また

整列より、楽しく登校の方に重きを置くらしく、びしっと整列して登校したことがない。

ある子はしゃべりながら、ある子は先頭についていけずだらーんと列が伸びる。

その列の間に車が入ってきたらと思うとハラハラする。

 

役目でない保護者からは感謝されることもあるが、逆に子供がついていけず転んだとか言われてしまうこともある。

転ぶ子は多くて、いつもハンカチやティッシュのほか、バンドエイドを持参した。

 

などなど。

 

登校班を引き連れて歩いていたころと比べて、わが犬一匹など軽すぎる。

といったところだ。

 

ついでに子供会役員も兼ねていたので、行事の運営、加えて新体制の立案など、

引っ張っていくことが多すぎたのだ。

 

比してこの軽さ。

軽やかにこの春を楽しみたい。

 

本日の整理:

キッチンの1番上の引き出し

 カトラリーを全部出して、いらないスプーン、取っておいた輪ゴムなどを捨てた。

 箸置きはほとんど使用していないが、思い出深いものなので、あまり使用しない物を いれるBoxにしまった。

 

 

 

 

 

 

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