日々の切れはし

平穏で静かで小さな発見がある。一見何と言うことはないこんな日々を積み重ねると人生というタペストリーが織り上がる。小さな日々の切れはしを誠実に積み上げていくことこそが幸せ。そして幸せになるための工夫、幸せのための時間を確保するための効率化、努力を精一杯。

幻滅

 昨年に引き続き、である。

はてなブログでは、昨年の同時期のブログを振り返る企画がある。ときどきメールが届く。昨年の今頃もファッション業界への幻滅を書いた。昨秋も書いた。

もはや期待をしなければよいのだが、とうとう着物でも幻滅である。

商品にではなく、人に。

着物の包装にである。

最近知ったショップ、「モノはヒトを選ぶ」に書いたが、猫の帯である。

こちらを贔屓の百貨店で購入し配送してもらった。

ついでに羽織3枚に半幅帯、帯締め帯留め、と予算の2倍ほど費やして購入してしまったが、あまり後悔はなかった。いい買い物をしたと思っていた。

本日届いてみたが、思ったよりも小さい包み。紙のバッグに押し込められている感じ。

嫌な予感がしたが、予想以上であった。以下というべきか。

まず白い厚紙、その下にたとう紙にくるまれた商品全数。名古屋帯帯締めはナイロンカバーがかかっているが、羽織も半幅帯も丸裸。たとう紙にくるまれているのでよいと判断したのか?たとう紙は丸まってしわしわ、丸まっていたので名古屋帯にもしわがよっている。ひどすぎる。と一目見て思った。包装に愛情も思いやりのかけらもない。

お気に入りの猫の帯をこのしわしわのたとう紙で保管しろと?しわはお客が伸ばせと?

我慢できずにショップにメールした。すぐに返事は来ない。もしかして購入した百貨店の包装係がしたのか?と百貨店に問い合わせた。やはりそうであった。入社まだ間もない新人の人だった。仕方がないのか。

コンパクトに紙袋に収まったからよしとしたのか。かなりの剣幕で言ってしまったが、

もう仕方がない。今まで購入した着物関連の商品は今回の買い物の十分の一以下でも必ずピンとはったたとう紙で届いていた。着物といえば長細い段ボールに入れられ宅配業者が横のまま(縦は着物が寄るので厳禁である)持ってくるのが当然とした習慣が悪いのか。剣幕に押されて、想像通り、その新人の上司から電話がある。ナンバーディスプレイですぐ判断できた。商品もたとう紙毎交換するという。さらにはお詫びがてら自宅に持参すると来た。マニュアル通りである。もちろん自宅へ足労願うつもりも交換も毛頭なかったが、向こうも後にはひけない感じ。やむなく、私の方から交換前のものを持参することになった。この電話のやりとり、果ては交換のための往復。手ぶらというわけにもいかず、お直しや洗い用の着物も用意するつもり。

ああ、だからクレームは嫌なのだ。いう方も言われる方も時間を使う。

であれば、言わなければよかったのか?泣き寝入り?

本日は久しぶりに一日家にいられるので、朝から家事をこなしてから、ピアノの練習、株主優待の研究などトントンと済ませるつもりだったが、一連の騒動で、もうお昼だ。