日々の切れはし 〜50才からの目線〜

平穏で静かで小さな発見がある。一見何と言うことはないこんな日々を積み重ねると人生というタペストリーが織り上がる。小さな日々の切れはしを誠実に積み上げていくことこそが幸せ。そして幸せになるための工夫、幸せのための時間を確保するための効率化、努力を精一杯。

自己満足の果ての浄化

 着物狂いであった。

1つ前のブログで、「今の着物で十分だ」という記事を書いたにも関わらず、

先週着物、帯、帯締め、日傘を購入した私。

全部セットで全部合うように。

それにつける帯留も昨日ポチっとしたばかり、あろうことか、その帯留に合う帯締めも選んでもらうようお店にお願いしてしまった。私としてはお願いするにはしたが、合う帯締めがないと断ってほしいと今は思っている(メールでの問い合わせなので)。着物通を気取りたいだけだったかもしれないから。

 

さて昨日1つの野望であった着物でピアノ発表会があった。

着物でピアノを弾きたいがために立てた目標であったが、子供と連弾でお茶を濁すつもりが、着物では連弾しないと拒否にあい、止む無くソロをすることになり、「さくら」なので桜柄の着物をオークションで落札し、2カ月で曲を完成させ、本番に臨んだ。

 

 ピアノが好きなのか、着物で発表会に出たい気持ちが強いのか、完全に後者である。

ピアノは好きである。けれど着物に似合うがために選んだ曲は、苦手なオクターブ同時弾きや和音やペダル踏みがたくさんあって、練習してもある程度までしか上達できない事が予想できた。加えて連弾もした。(その時はワンピースに早着替え。本当は黒の帆船の帯もリサイクルで購入してパイレーツオブカリビアンを弾く予定であったが)。

 

本番、ペダルが草履で踏めない場面もあったが、何とか年の功で誤魔化し、それなりに仕上げた。連弾も何とかなった。

 

着物は偶然ママ友の友達(ややこしい)にも褒められ満足であった。

 

しかし、この一連の行動。

桜柄の着物でさくらさくら幻想曲を弾くという行為は、「自己満足」以外何者でもない。

私は、人とは一風変わったことが好き、である。専門知識や技術が好きである。

最近まれにしか見ない着物を着る一風変わったところ、着付けができるという専門性(私は獣医師という専門職の極みの資格持ちである。使って仕事をしたことはないけれど)に、ピアノを弾くという技術の味付けをする。

本当に、ただただ自己満足だ。

 

自己満足の昇華の次は何がくるというと浄化であった。

本日は快晴で、私の心も風が吹いているのですよ。

そして浄化作用のように、着物もピアノも、「もういいかな」と思い始めている。