50才の誕生日の続編です。
レストランの予約は19時だったので、17時には着付けを開始しないと。と16時半に庭と畑に水やりをし、スタートしようとすると公文に行くバッグがみつからないと子供とすったもんだ。結局心配性の私がロッカーにかけておいたのを服が邪魔して見つけられなかったことが判明。ご機嫌ななめの子供をようよう送り出し17時10分ごろ着付けスタート。猫や犬に邪魔されながら汗をかきながら何とか完了。と、雷が鳴りすごい勢いで雨が降り始めた。夕立?すぐ止むよね?と窓を眺める。
びしょ濡れで子供が帰ってきて「母さん、絶対着物をやめたほうがいいよ」。と説得される。雨はまだ止まず、あきらめて帯をほどく。
子供に頼んだ犬用のスポーツドリンクは、雨のため買ってこれなかったので、服に着替えた私が買いに行く。
仕事帰りの夫とは現地で待ち合わせ。
スポーツドリンクを温めて犬に飲ませ、洋装で出かける。
せめてと、着物に合わせる筈のナンタケットバスケットをもって。
外に出ると雨は上がっていた。
地味なワンピースに着替えた私は、レストランの最上席に案内されても気分は乗らず、花束、記念撮影、デザートの皿に書かれたメッセージなどうれしかったが、二言目には「着物だったらなぁ」とため息。みかねて子供が「51才の誕生日に着たらいいじゃん」と。
帰りはしっかり雨も上がりきり、出かける直前ピンポイントで降ったことが判明。
思っていた通りではなかったがレストランで家族水入らずで祝ってもらえるのは幸せなことだった。帰宅すると子供がベルばらの3色ペンをくれた。明日は夫に浴衣を買ってもらう。
そして、昼間は実母からメールでおめでとうをもらった。
他の人からのお祝いメッセージは1通もなかった。
つい最近誕生日祝メッセージを送った後輩やら、2,3年前まできちんと送ってくれていた少し憧れの准教授からのメッセージも来なかった。
夜、具合の悪い犬に付き添いうとうとしていたら、突然、ひたひたと水が部屋に流れてくる感覚を得た。想像の水は部屋を満たし海水に浮かんでいるような気もちになった。
世間と隔絶して家族と誕生日を祝った私。50才を心して迎えた割にはハプニングもサプライズもなく誕生日を終えようとしている。
海に浮かんで感じたのは、「孤独」と「自由」。
メッセージが来なかったのが直接孤独に結びついたのだが、孤独とは自由なんだなぁと思った。自由な50代に突入したのだ。
世間からどう思われているという他人軸から自分へ軸を移せるのが50代か、と悟ったのであった。