日々の切れはし

平穏で静かで小さな発見がある。一見何と言うことはないこんな日々を積み重ねると人生というタペストリーが織り上がる。小さな日々の切れはしを誠実に積み上げていくことこそが幸せ。そして幸せになるための工夫、幸せのための時間を確保するための効率化、努力を精一杯。

1年目

 はてなブログからメールが届き、開けると

『「日々の切れはし 50才からの目線」を開設して1年経ちました。』

だそうです。

1年。。

自分としてはもっと暑い時期に始めたような気がしていましたが、春だったんですね。

ミニマリストに憧れ、読者になっている「やまさん」のブログにあやかり、はてなブログで開設しました。

FC2ブログアメブロでも書いていたのですが、「はてな」の編集画面が見やすくこちらが主になりました。

我が家に黒猫が来てから2か月くらいたって始めたブログなので、猫がよく出てきます。Mダックスの先住民(動物?)も元気です。

今は2匹仲よくとは言わないまでも同じリビングの空間でくつろいでいます。

 

ブログタイトルに「50才」とありますが、本当は今年に50才を迎えます。人生は100年とまではいかないまでの、きりのよい50才。人生の後半になる50才。

にむけて生活や気持ちを改善しつつ後半に向かっていきたいと思います。

 

そういえば、今日は8時50分から「3月のライオン」見てきました。

イオンモールのシネマズは朝早くからやっているのが好きです。

9時前から映画を見られるのが自分のタイマーに合っています)

桐山零くんを神木くんが好演。絶対いいと思っていたんだよなと思っていたらその通りでした。原作はマンガです。天才の影、苦悩、努力を描くのがうまい羽海野チカさん作です。

そしてそして服断捨離していたのに、またもアトリエナルセの新作バッグを見つけてしまい速攻ポチ買いをしてしまった変わりない私です。

50才までには、50才からは、衝動買いしないぞ。衣類買わないぞ。

 

卒業

 唐突ですが、宝塚歌劇ファンをやめることにしました。

4月の公演が実家帰省と重なって、あっさりチケットを手放したあたりから卒業できるかもと思ってきましたが、3か月あるいは半年先の公演のチケットを是が非でもとろうとチケット販売の時期をチェックしてPCの前に座ったり、取れたり取れなかったり(大体は取れない)で一喜一憂するのが疲れたということろにあります。

トップスターの引退も相次ぎ、ファンになっても次はこの人が退団かもと思うとつらくなったりまだ退団しないと知ってホットしたりしてこちらも一喜一憂していなければなりません。

6月までチケットを取っているのでそれが先行予約の最後かな。

応援しようと決めているスターの退団はおそらく今年年末から新年だと思うので(全くの予想です)、そこまでは宝塚友の会会員でいようと決心していて、

この方の退団公演までは観劇するつもり。それをもってファン卒業予定ですが、また退団公演のチケット取るのに苦労するんだろうなぁ。

ゆにわ体験記

 「神様ごはん」の作者ちこさんが店長をつとめる「ゆにわ」。

著書を読んでから行きたかったけれど何分遠い。

今回服を取りおいてくれた店が近くだったので行ってみることに。

「ゆにわ」は水曜は定休とのことで、お隣の「べじらーめんゆにわ」へ。

しかし、水曜は「まぜそば」のみのメニュー。命のスープは飲めません。

最寄りの樟葉駅から徒歩18分。今日は寒くて風が冷たい日でおまけに行ったことのない土地なのでかなり迷いながら到着。

店に入って自販機で食券を購入するのは調査済。まぜそばを押して食券をカウンターに出す。店には2名しか客が座っていないが、トイレから帰ると3、4名の家族と1人客が3組ほど。子連れの家族は店の人と知り合いなのか、作る人はその家族とばかり目を合わせている。最初の2名に料理が出され、次は私の番と思ったら家族連れの子供にまず先に。そうだよね、子供が先だよねと思っていたら次はそのお母さんらしき人に。どう考えても私より後に入店したけれど、トイレに立ったのが悪かったのだろうか。

思い切って「最初から来てるんですけど、順番は?」と尋ねると次に出してくれました。その前においてある水を飲んだんだけど、ぬるくて体の中にすっと入っていくようでした。そして店に入って落ち着いてくると眠くてたまらないほどに。ゆったりしたBGMか昭和な感じの落ち着く店内だからか(けれどかなり狭い)。肝心のまぜめんは、おいしかったです。ごま油がかなりよいのを使っているのか風味がいい。かけてあるノリも香ばしい。麺だけでおなか一杯に。

そのあと、もう来ないかもしれないので茶しゆにわへ。駅に戻る感じですがまた迷いながら到着。靴を抜いであがります。お客は私一人。思い切って2000円の阿修羅セットに。さらに15時までしか使えない畳のほうへ。

入店は13時なので、15時までなんて余裕と思っていましたが、阿修羅のお茶は3分の砂時計を2回傾けて6分まつのです。それを急須にお湯を注ぐ回数分。

最初は果実味がしてこれで最後にしようと飲んだ3杯目の急須のお茶がおいしくて結局4回急須にお湯をそそぎました。中の果実は食べられるそうですがちょっと苦みがあり最後まで食べられませんでした。

畳に座ってみる外の景色は昭和の窓の外、白い椿が見え、本当に落ち着きました。砂時計をただひっくり返して6分待つのをまたやってみたいです。無為だけど落ち着く時間でした。阿修羅ブランドは不眠に効くと記載がありましたが、帰りの電車の中は本当に眠かったです。また帰る途中で横切ったショッピングモールがやけに物が多すぎる感じがし、公園の木々がとてもきれいにみえました。お茶の効果かわかりませんが、あの時間はとてもよかったと思います。

 

母からの荷物の中身

 実母からの荷物が届き、今日は子供が学校から午前中で帰宅してもお昼ごはんを作らなくていい。つくづく親はありがたい。70過ぎた親が食料を送ってくれるこの幸福。

ちなみに母からの荷物の中身は、

手作りハンバーグ、手作りコロッケ、手作りお好み焼き、手作りチョコレート、手作りチョコレートパン、海鮮せんべい、かっぱえびせん、いちごポエム、ブロッコリー、大根、バナナ、プチトマト、ブルーベリージャム、正月帰省時に残していたソックス、割烹着。でした。ありがたや。

ハンバーグやお好み焼きは子供の大好物、海鮮せんべいは私の大好物です。

チョコレートはおそらく遅れたバレンタインデー用で、今日ホワイトデーについた。

というところです。

「買ってやっている」は「売ってもらっている」?

 ナチュラルブランド系の服は好きだが、ブランドを出している会社は好きではない。

(ナチュラルブランドと書いているが正しい言い方はわからない。

ナチュリラ、リンネル、天然生活などで取り上げられるようなリネンや綿の服を出しているブランドである。)

 正直そういった会社に問い合わせてくしっくりきたためしがない。でも服は好きである。好きであるので手に入れたいと思う。しかしブランドの事情ゆえ取り扱い店は少なく、取り扱っていても目指す服はなかったり(小さなブティックが自らの才覚で買い付けするから)、完売になっていたりする。

 なのでシーズン初めになるとそういったブティックのオンラインショップを渡り歩き何時間もスマホやPCの画面を見るということになる。

 

 今年は珍しく1つのブランドからカタログが送られてきた。おそらく直営店のショップで買い物をしたからだろう。

全商品を冷静に品定めできるのでうれしかった。買いたいものも決まった。

しかし、いざ目当ての品を探そうとすると、直営店のオンライショップでは売っていない、馴染みのブティックでも取り扱いがない、オンライショップを検索し続けてもみつからなかった。

思い余って直接ブランドに問い合わせをした。

今まで検索したことがないオンラインショップを紹介され無事購入することができた。3点で10万円ほど。直営店で2万ほど購入した際にカタログが送られてきたからまた送ってもらおうと軽い気持ちでカタログを楽しみにしているという返事を書いた。

もちろんそのブランドの商品を購入できたことも含めて書いた。

しかし、回答は「購入履歴の高い方からカタログを配布します」と、私が該当しないような記載がなされていた。せっかく買い物をしたのに。という残念な気持ちと何だかしっくりしない気持ちが残った。

「お客様は神様である」とまでは言わない。しかし言い方というものがあるのではと思う。「せっかく購入してくれたのに直営店の購入履歴に限るので今回は申し訳ない」というようなそんな言い方を期待していた。

そういえば「直営店では完売です」と誇らしげに書いてあった。

マスなブランドではないから、1シーズンに製作する服数は限られるだろう。シーズン前の展示会で取扱店を集め注文をとり、注文数プラスアルファの数だけ作り、プラスアルファ分だけ直営店で販売する。即完売になるのは当然な気がする。そこを「直営店ではわずかしか置いていないのですぐなくなってしまいます」と正直には書けないか?

とりあえず丁寧に直営店では購入できない、直営のオンライショップで買う時があるかもしれないといった返信を書いた。本意が伝わるかどうか、おそらく伝わらない。

では一切そのブランド服を買うことをやめたらよい。

しかしやめられない。

何だか好きな彼女に邪見にされても追いかける状況に思えてくる。

 

 

 

朝に夕食準備のススメ

 記念すべき100番目の記事です。

の割にはタイトルが今一つ決まりませんが。

 現在子供が学年末テスト期間で、午前中で学校をおえて帰ってきます。

今までお弁当を作っていたのが一転昼食準備に追われることに。

昼食用の買い出しも必然的に午前中になります。

朝食の片づけ、洗濯、風呂・トイレ掃除、2Fの掃除、犬の散歩という午前中のルーティンに加え、買い物が午前中の仕事に加わりました。

面倒なので、夕食の買い出しも一緒に行います。

買い出しから帰ってくると、昼食を作りながら夕食の準備もしてしまいます。

(あとでのんびりするため)

買い物から帰ると食材を冷蔵庫に入れる前に、ざっと下準備をします。

えんどうのつるを取るとか野菜を切るとかです。

どんどん加速して夕食の汁物も作ったりします。

カレーやシチューだったらほとんど作り上げてしまいます。

ただ、自分の中にタイマーがあって、30分間作業をすると何だか疲れてきます。

で、30分作業をしておしまい。

だいたい準備はできてしまいます。

すると、夕食つくりがとっても楽になりました。

大散財のあとで思うこと。

 前回の記事では、衣服費に1000万円使った経緯を書きました。

3年で1000万。

会社を辞めた年が大殺界に入った年ですので、大殺界の3年間大散財したことになります。(昨年も使ったから1年プラスですが)

厄年には大金をはたくといいとどこかで聞いたことがありますが、文字通り散財をして殺界を抜けたような気がします。会社に勤め続けていたらもらえたはずだろう高給も投げ捨てて。

ここ数年家族のだれも(父母ペットを含む)が大病をせず平穏に過ごせているのは、このおかげかも、と自分を慰めてみます。

しかし大殺界も終わってしまったので、やっぱり見直しですね。

「買う」という達成感の代わりになるものを、今自然に探し始めている気がします。

着物とか掃除とか。