日々の切れはし

平穏で静かで小さな発見がある。一見何と言うことはないこんな日々を積み重ねると人生というタペストリーが織り上がる。小さな日々の切れはしを誠実に積み上げていくことこそが幸せ。そして幸せになるための工夫、幸せのための時間を確保するための効率化、努力を精一杯。

人間関係の整理

 今日はすべてを洗い流してくれるような雨。

心の整理のため、その人とのことを書いてみる。

 

 最初は小さなファンジャンルのブログ記事だった。

ヒマに任せて毎日そのジャンルのブログを人気順に読み漁っていたら、毛色の変わった記事があった。

通常は、誉め誉め脳内花畑的な記事が多い中、辛口でユーモラスでかつ自分語りの記事だった。人にも興味がある私はそんな記事に注目した。

年頃は同じくらい、子供も同じくらい、学歴も国立理系という、親しみのある要素がたくさんあった、いつしか熱心な読者となり、コメントのやり取りをし、ある問題にそのブロガーが突き当たった時も、ひたすら応援メッセージを送るまでになった。

 

そうすると個人アドレス宛にメッセージが届くようになった。

読者だった私は狂喜して即レスした。

その人は、ブログには書けないことを書いてきたりして、益々私は親近感をもったのだ。

 

親しくなったある日、直メッセージでお茶でもどうかとお誘いが来た。

 

そのブロガーは家族との約束で、身バレ禁止だそうだ。

身バレ禁止を貫く余り、本名はもとより、住んでいる地域、観劇日や行動日もぼかして書いているらしい。

身バレ禁止なのに、直に会ってよいのだろうか?

戸惑いながらも誘いに乗る返事をした。

おまけに、社交辞令が嫌いな私は具体的に行ける日を書いて追メッセージを送った。

しかし、そのメッセージに返信は来なかったのだ。

傷ついて私は控え目になった。

やはり身バレ禁止だから、具体的に会う日付を決めては行けなかったのだ。

 

まずそこで私は傷ついていたことを記す。

 

後できくと、そのメッセージを見た記憶がないそうだ。

ブログ運営やDMやらの中で私のメッセージは埋もれたのだろう。

しかしである。

自分が誘っているのだから、注意深くその後も私からのメッセージを探すべきではないか?

まずそこで私の態度との食い違いがあった。

つまり、気分的に誘ってはみたものの真剣ではなかったということか。

 

それから、お互いの子供は進学し、時間に余裕が生まれた。

良い読者のままでいた私は、ある飲食店の閉店情報をコメントした。(その人とは、つくづく閉店情報に縁があるのかも。)

すると、今度もその店に行ってみないか直接誘いがきた。

前回はメールに返信がなかったのだ、恐る恐る具体的な日付を書いたところ、今度は速攻で返事がきて会うことが決まった。

 

会うとなれば嬉しかった。

まずそのブログのファンであるし、どんな人なのかこの目で見たい好奇心があった。

初対面であるから、会話が途切れないように話のネタの準備もしたし、それ用に書籍を買ったりした。

 

そして、直接会う日がやってきた。

待ち合わせ場所は閉店間際の店の前、

時間よりだいぶ早くその人は到着していたようだ。

走り寄る私。

第一声は私の叔母に声が似ているなということだった。

そして顔の形は私に似ていた。

ブログには目を隠した写真を載せているが、想像よりは正直キレイと言い難い人だったし、地味な装いだった。

これからあの面白おかしく辛口な記事ができているのだかと少し拍子抜けした。

 

ゆっくりと食事をする。

食器を率先して譲ったりして、第一印象は、気の利く大人の感じの女性だった。

私は緊張して馬鹿みたいに相槌を打ったと思う。

 

その後、店の周りを散策した。

散策にふさわしい緑豊かな道があるのだ。

その人は記事にするのだろうか、沢山写真を撮っている。

写真を撮ることはよいことだろう、と自ら買って出てその人の写真もたくさんとった。

その後別の喫茶店に入った。

ケーキセットでその人が一番お得なケーキ(一番高い、けれどケーキセットにすると他と同料金)を選んでいたのが印象的だった。

私はといえば、お花畑ファン同様見栄えがかわいい(料金は見ない)ケーキを選んだ。

 

初めて会った印象は悪くなかった。

ときおりしーんと会話が途切れることがあったが、初対面なんだから当然だろう。

何より、平日は一人でいることの多い私が、女友達的な人とランチしたり散歩したりお茶できたのがうれしかった。

 

それから、パンケーキのおいしい店でごはんを食べたり、観劇も一緒にしたりした。

パンケーキ辺りまでは楽しかったと思う。

その人は自らの名前を明かさなかったし(だから、ブログ筆者名で呼んだ)

また、そういった関係の人がもう一人いることを教えてくれた。

 

ある時、旅先で事故があった。その日は帰ってきてその人と夕飯を一緒にする予定であった。やむなくメールに私の個人携帯と、夕飯先をキャンセルする予定であることを書いた。

事故は何とか落ち着き、自宅に戻ると突然携帯がなった。

見知らぬ電話番号だった。

見ると同じ番号で何度も着歴があった。

出るとその人だった。

開口一番「大丈夫?」だった。

まるで、私が心配をしてくれと言ってるが如く同情的だった。

もろもろ話しキャンセルを謝ったりした。その人は車をよく運転するらしく最後は私にアドバイスめいたことを言って電話は切れた。

 

その時である、最初の違和感を感じたのは。

携帯番号を教えたのだから、心配してかけてくるのは当然だろう。

しかし、その人の本名も知らない遠い間柄なのだ。

私の感覚で言えば、メールでも伝えているので、心配しているがまたの機会にでも会いましょうとメールで完了する事項である。

突然の直電、それも親しい間柄のような同情とアドバイス

違和感の始まりであった。

加えて、その人の番号はIP電話のそれだった。

だからショートメッセージのやり取りができない。ラインもできない。

クッションを置かずに、直で電話のやり取りをするしか方法がない。

IP電話なのは、恐らく身バレ禁止のためであろう。

なぜなら、ラインでのやり取りの写メをブログ記事にのせているのだ。

ラインでやりとりできることが可能なのに、身バレを防ぐため私にはIP電話のみを教えることにした、そんな小ずるいやり方が今となっては気に入らなかった。

要は自分中心ということだ。

 

その後、仕方なく私はIP電話番号を登録した。

本名を知らないのだから、ハンドルネームで登録、いささかふざけた名前が私のアドレスに追加された。そしてそれはまたも最悪な事態の序章だった。

 

私の趣味をよくは思っていない家人と喧嘩した。

それでまたもその人との約束のドタキャンを私は報告しなければならなかった。

勿論メールで書いたのに、

またも、その人は直電をかけてきたのだ。

それも家人との喧嘩の再燃の時に

私の携帯にふざけたハンドルネームが映し出された。

すぐ切ったし、家人も見たのかはわからない、ほどなく家人は自分の部屋に上がっていった。

さすがに私は強い口調でメールを書いた。

喧嘩の最中のあなたからの電話が鳴った。登録したハンドルネームが映し出された、と。

その人は「メールを見て驚いて何も考えずに電話をしてしまった」

「何も考えず」だと?

まるで営業、私の嫌いな営業のようであった。

条件反射的に電話をかける人とは、ベースとして上手く行く気がしない。

 

今になって、なぜあんなにも危険信号が灯ったのに私は付き合いを続けたのだろうかと思う。

 

まず、その人のブログを熱心に読んでいた、

他に平日付き合ってくれる同じ趣味の友達がいなかった。

よく考えたら、直電以外はいい人なのだから、これからも付き合いを続けても問題ない。

 

としていたのだろう。

既に私の中ではその人疑う気持ちがあったのに。

 

そしてその人はこうも書いた。

ご主人に私が弁明します。と。

いやいや、本名を明かさない人の言うことを誰が聞くのだろうか?

元よりその趣味に否定的な家人である。

本名を知らない人と、その趣味で会っていると知ればよくは思わない。

大丈夫だったとカラ元気でメールで返した。

 

それから、ドタキャンの約束の日がやってきた。

私は観劇するつもりはなかったが私名義のチケットだったので、それを渡す必要がある。その人の分も合わせて2席あったが、2席とも譲る気だった。

それは悪い、とその人は書いてきたので、

それでは私のお願いを1つだけきいていただけないか、とメールした。

そのお願いとは、観劇のために用意した着物を着ていくので写真をとってほしいというものだった。

私は着物が趣味で、観劇に合わせて着ることが幸せだった。

しかし観劇の日はまれにしか来ない、となるとその着物も着ずしてお蔵入りになる可能性が高い、だからせめて写真で残しておきたかったのだ。切実な願いだった。

 

約束の日、待ち合わせの喫茶店でモーニングを食べる折りにチケットを渡すことにした。

チケット代は2名で1万ほど。

その人から1枚だけ返金されたので5千円ほど渡すことになる。

私なら、取りにくいチケットを譲ってもらって、自分のせいで家人との仲を気まずくしたかもしれないから、平謝りに謝って、会って即お願いを果たすことにすると思う。

要は、この間の直電はすまなかった。と謝ってからのお願いされた写真撮り、の順番である。

 

しかし、早く来ていたその人は、ごく日常会話からはじめた。

着物を着た私の写真を撮る素振りも見せずに、運ばれてきたモーニングの写真を忙しく撮った。それっきり、である。

食べている間、趣味の話をし、本当に観劇はしないのか念押しし、しない旨を伝えると「それでいい」みたいな寛大な仕草を見せた。

チケット代は1名分いただいたが、2名渡すと「記念に1枚もっておいたら」と言ったが結局2枚とももって改札をくぐろうとした。

そう、食事が終わって会計が済み、公演時間がせまってお別れの段になって、ようやく

「あ、写真!」と思い出したようだった。

私はといえば半分諦めていたし、公演開始が迫る中での慌ただしさである仏頂面の上にポージングもできない。

パパっと2枚撮った後

「上手く撮れたかな?老眼だからわからないーー」と宣わって改札をくぐっていった。

 

ショック、である。

まず私の思い描いていた場面ではなく、折角来た着物写真も不出来である。

(この後、その着物を見ると嫌な気持ちになるので、この時1度着たきりで売ってしまった)

 

何だかなぁとまたも思った瞬間だった。

 

しかし、着物の写真を撮ってくれないからという理由で関係を切るのはどうだろう、と私は思っていた。

私だっていい年のおばはんである、そんな私が着物の写真をきれいに撮ってくれないからといって、どうってことはないのである。

とまだ辛抱強く思っていた。

 

しかし違和感はどんどん大きくなった。

その人が自分のことを話す時は、完全に聞き役に徹して、いざ私の番になると明らかに興味がなさそうな感じになること(となると必然的にその人を喋らせることになる)

相変わらずの身バレ禁止で、私の方はと言えば、チケットにも本名が書いてあるので、本名も携帯も住んでいるところもdiscloseしているのに、その人は全く教える気配もないこと。であればそんなに親しい間柄ではない訳なのに、ある時から私のことを「〇〇ちゃん」と下の名前で親し気に呼び始め、ブログでは「友達」と称して顔を隠した写真をあげる始末。

 

なので、しばらく間をおくことにした。

その趣味のものは家人の反対があるので、もう観劇もしないだろう、必然的にあなたとご一緒することもないだろうと。

 

ここで、一旦間が空いた筈だった。

このままなら、ブログ記事を読むことは読むが個人的にはかかわりのない、あるいは関わりは復活できる間柄でいたはずである。

 

年が変わり、チケットが余ったことがあった。

その頃私は席で隣に座った人の会話がうざくて(コロナ禍が過ぎて、観客がおしゃべりになっていく頃だった)、今迄平気だった「一人観劇」が苦痛になっていた。

なので、随分と久しぶりにその人に連絡を取ったのだった。

いわく、もう一人一緒に見る人がドタキャンで見れなくなったから、チケット代はいらないので一緒に見てくれないか、という誘いだった。

別話になるが、その余分チケットは、ママ友で応援している退団公演用だった。あちこちに手を回しママ友全員のチケットを確保した後、余ったチケットだった。それを親戚の随分と年下の娘と見る予定だったからチケット代はいらないと嘘をついての誘いだった。

チケット代を貰わないための嘘、お人よしの私である。

 

その人は平日はヒマなので喜んでやってきた。

そして久々ではあるが淡々と観劇して終わったのだった。

 

私の中でも、仲を壊すことなかったので誘えたのだ、と少し満足していた。

このまま、やはり読者とブログ主で続けていこうと思ったのだった。

 

また年が変わった。

私はまたもママ友全員のチケットをとるため、チケ難とよばれる公演のチケット取りに奔走していた。

貸し切りも申し込んだし、抱き合わせ企画にも申し込んだ。

抱き合わせ企画は、その劇団のOGが出演する人気薄でなおかつチケット代がバカ高いコンサートとの企画だった。

本公演のチケットを確保するため、そのコンサートのチケットも購入する義務があるというものだった。

 

そのコンサートには着付けの先生と行く筈だった。

先生も喜んで来る予定だったのに、体調を崩した。

とても恐縮している。

本当なら、一人でも行けるコンサートだったが、恐縮されている手前、「誰かと行った」呈を出した方がよいと思った。

誰かは、その人しか誘えなかった。

平日で、さして人気もないOGのコンサート。

行ってくれるのはその人しかいなかった。

案の定、二つ返事で来てくれることになった。

直前だしピンチヒッターで悪く思った私は、チケット代を取るつもりはなかった。

1枚13,000円のチケットでもある。

 

私はまたその日のために用意した着物で行くことにした。

万が一、その人が写真を撮ってくれるかもしれない、またも破られるかもしれない淡い期待だった。

 

予想通りだった。

その人はトイレに立った時私の帯を見てびっくりしたようだったが(演目ばっちりの帯だった)、それだけで、着物の写真は撮ってくれなかった。

やたらと会場の写真は記事に載せるためか撮っていたのに。

 

予想通りとはいえ、写真を撮ってくれないのなら、一人で行ったほうがましだった。

最初は久々会うことのテンションで、私もよくしゃべったが、気づくと彼女の話のペースに合わせていた。

「これ子供!」

と身バレ禁止なのに、子供や夫の写真を見せられた。

身バレ禁止で身構えているのに、本名も居住地も明かさないのに、子供の写真を見せるの?どうコメントしようか困った。その人のブログ記事に子供もよく登場するが、読むからにわがままに育てられており、その通りのわがままな顔立ちだった。

コメントは苦し紛れに「お肌が白いね」ぐらいだった。

 

コンサートは終わった。

それ自体はよかったので、何となく仲良く連れ立って会場を後にして出口に急いだ。

すると

「母親と待ち合わせしてるんだ」

ということだったので、さっさと私は去ろうとした。そういうつもりだった。

なのに、

「あーー」と母親に手を振って近づくその前に

 

「(母に)ブロガーって言わんといて!友達や友達ってことにして」

と強い口調で言われたのだった。

 

意味がわからなかった。

元々、軽く会釈して去るつもりだった。

まさか、会うなり

「この人のブログのファンでして、今日はどうのこうの」

なんて、話始める気持ちは毛頭なかった。

なかったのに、きつく戒められ、茫然とする私に

「じゃーねー、またね、〇〇ちゃん!」

と友達全開モードで送り出すその人。

その母親はと言えば、着物を着た私をこれでもかとジロジロ眺めた。

 

気分は悪かった。

 

まず

「この人はブロガーで、どうのこうの」

としゃべりだす女だと思われていたということ。

 

恐らく母親にもブログのことは言ってないので

わが身の安全のために、強い口調で私に言い放ったこと。

 

身バレ禁止なのなら、なぜ母親と私が合うシュチュエーションで待ち合わせ場所を指定したのだろう。私と別れてから、別の場所で母親と待ち合わせをすればよかったのだ。

 

 

やはり、この人との関係を切っておけばよかった。

 

 

「この人はブロガーで」としゃべりだす女については心辺りがあった。

劇場近くの喫茶店で、その人は店主の写真も撮りたがった。

「写真撮っていいですか?」と許可は得ていたが、店主の肖像である、

目的を言った方が不審がられずに済むのでは、と気をまわした私は

「この人ブロガーさんなんです」と紹介したのだ。

ブロガーなので、ブログに載せる目的で写真を撮っているのだという説明で補足しようとしたのだ。

それを、私はブロガーだとベラベラしゃべる奴と認定したのだ。

こちらの気遣いは全く伝わっていなかった。

 

おまけに、OGのコンサート帰りに、次の食事の約束までしてしまった。

いわく、昨年の公演とコンサート代を私におごってもらっている結果なので、どっか食事でも、という提案だった。

もとより私はチケット代を取るつもりはなかったし、もう会うのは止めようと思っていたので

「次の公演のチケットが取れたら」

と確率の低いチケットの公演を指定したのだった。

「取れる筈がない」からであったから。

 

しかし、悪運強く、その人はチケットが当選した。私は当選しても言うつもりはなかったが、落選した。

当選した公演の日に再度会う約束をした。

それが前記事の約束していたランチのことである。